殺伐としたゾンビ世界では、属すべきコミュニティの選択はとても重要になります。
普通の世界なら、仕事はいまいちだけどプライベートは充実しているとか、会社はブラックだけど給料はいいとかありますが、ゾンビ世界ではonとoffの区別が基本的にありません。とても小さな枠の中で、始終顔を合わせながら生活していかなくてはならなくなります。
間違った集団を選んでしまったら、いやでもずっと一緒に行動する必要があります。
その代わり、すごく快適なコミュニティというのもありません。
動物的な殺すか殺されるかのデンジャラス集団か、そこそこ人間的な集団かのどちらかです。
もし噛まれたとして、なおかつデンジャラス集団に属しているとしたら、どうするべきでしょうか。
まずは時間稼ぎをしましょう。
遅かれ早かれ死んでしまうにしても、気持ちの準備もできないまま突然斧で頭を割られるのは避けたいところです。
いかに世界が殺伐としていても、せめて最後は自分の意思で、あるいはそれほど残酷じゃないやり方で終わらせたいと、私なら思います。
疑われている傷口を絶対に見せないようにして、時間稼ぎのための表現を使いましょう。
No. I got scratched during the attack. さっきの攻撃の間にちょっと引っ掻いたんだ
相手は信じないかもしれません。強い疑いの眼差しを向けてきます。ただ、それでも大丈夫です。
疑っている相手がデンジャラス集団のリーダーのところへ告げ口しにいっている間に、こっちには逃げる時間ができます。
森に向かってダッシュします。
Go running into the woods!
どういう人間として記憶されるのか
では、もし噛まれてしまい、幸運にも人間的な慈悲を失っていない集団に属していたら、ではどうするべきでしょうか。
目の前にいるのが十分に信頼に足る相手だったなら、傷口を見せましょう。
ギリギリまで黙っているとか、最後まで黙っておくなどありますが、属しているコミュニティのおかげでそれまで生き抜いてこられたと考えているなら、やはり言ったほうがいいです。
噛まれたのに黙っているというのは、大事なコミュニティを危険に晒すことになります。
ゾンビ化するのも、殺されるのももちろん嫌ですが、噛まれたら遅かれ早かれ自分という意識はなくなってしまいます。この先自分という人間を覚えていてくれるのはコミュニティのメンバーだけになります。要するに噛まれてしまったとしたら、最後はどういう人間として記憶されたいのかが問題になるわけです。
ドラマでメリルという元麻薬の売人の男が登場します。
彼はゾンビ世界でも大小さまざま悪事を働きます。気にくわない人間を殴る、密閉された部屋に人を縛り付けておいてそこにゾンビをいれる、そしてそうです、メリルはまだゾンビになっていない人さえも殺しています。
ただ、この人は最後の最後で変わるんですね。自己犠牲の精神を発揮してコミュニティを助けてくれます。
そして人々(私)の記憶に強く残っているのは、ほぼこの部分だけです。
冷静に考えれば、最後にどんなに良いことをしたとしても、それまでの悪事を考えればまったく帳尻が合わないんですが、みんなのために頑張ったということが、記憶の中核を占めてくれます。
I got something I got to do on my own. 俺には自分でやることがある
そう言いながら人質にするはずだった仲間を解放して、ゾンビの大群を引き連れ一人で敵対組織に向かっていく場面で魅せられてしまった人は多いはずです。
それまでの事を考えると全然チャラにはならないんですけどね。
なのでゾンビに噛まれてしまい、もし人間的なコミュニティにいるなら、傷口を見せてしまうことをおすすめします。
ちょっとしたfarewell party (お別れ会)を開いてくれる可能性もあります。
生き方の選択
もちろん死にたくはないです。ゾンビになってもなんとか生き延びたい気持ちもわかります。
でも人間らしさを失わずに生き抜いていくことは、最後に残された選択でもあります。
このドラマでは悪者と同様に、人格者が入れ替わり出てきます。Daleというおじさんはシリーズ初期の人格者担当でした。
コミュニティが暴力的な方向に進もうとしているときに、彼が言った言葉です。ゾンビの世界で使いたいと思う時がきっと来るはずです!
The world we know is gone. 私たちが知っている世界はもうない。
But keeping our humanity. That’s the choice.
だが人間らしさを保ち続けること、それは自分達が選択できる生き方だ。
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